光がめぐる子育ての物語
「子育て 糸島 働き方って、本当に両立できるのかな」そんな不安を胸の奥にそっと抱えたまま、毎日を走り抜けていませんか。制度はあるのに使えない。助けてほしいのに、頼る先が分からない。頑張れば頑張るほど苦しくなる。あの頃の私がまさにそうでした。まずは、そのしんどさごとここに来てくださったあなたへ、そっと寄り添いたいです。
制度が“あるだけ”では救われなかった日々
私がまだ福岡市に住んでいた頃、子育てと仕事の両立は本当に綱渡りでした。病児保育は8時から電話受付。私の勤務開始は8時30分。たった30分の差なのに、その壁は信じられないほど大きかったのです。
子どもが熱を出した朝、薄暗い部屋でスマホを握りしめ、ただ8時を待つ時間の長さ。8時ぴったりにかけても「話し中」。何度かけても話し中。リダイヤルのたびに手が震えて、胸がざわざわして、涙がこぼれそうになる。8時10分、8時15分と時間だけが過ぎ、預けられるかどうかもわからないまま仕事のことが頭をよぎる。その数十分が、心の深いところを削っていました。
制度は確かに“あった”。でも働く私の生活と時間には噛み合わなかった。制度があっても救われない朝。あれは本当に、心が発作を起こしそうな痛みでした。
毎日4時起きで10年フル稼働していた頃
私は公務員になって半年で妊娠し、そこから産休育休復帰を繰り返して3年半で3人を出産。その後4人目の妊娠。振り返れば、あの頃は人生でいちばん走っていました。
毎朝4時に起きて教材準備、朝ごはん夜ごはん、おやつをまとめて作る。6時にはおんぶと二人乗りベビーカーで外へ出て、公園でたっぷり遊んでシートで朝ごはん。絵本を読んでから保育園へ送ると、子どもたちは満足したように泣かずに「ママいってらっしゃい」と抱きついてくれました。
帰り道は童歌を歌い、家ではご飯・お風呂・絵本。土曜日は習い事のはしご、日曜日はコンサートやイベント。今思えば、本当に10年近くほとんど眠っていませんでした。支えてくれる仕組みがほとんどなく、家事代行も自腹で毎月5万円。それでも「子どもの未来のために」と必死で走り続けていたのです。
そして起きた“人生の転換点”
3人目を出産した頃、私は限界に近づいていました。そんなある日、イベントで初めて出会った方が「子ども預かるよ」「うち泊まっていいよ」と、当たり前のように声をかけてくれたのです。
制度では救われなかった私を、たった一人の優しさが救いました。涙が止まらなくて、張り詰めていた心がふっと緩んだ瞬間でした。そこから一気に“預けられる人”が増えていき、生きる呼吸が楽になりました。
この経験が、私の子育ての価値観を大きく変えました。「助けを求めてもいい世界がある」「ひとりで頑張らなくていい世界がある」その光を、私は人生で初めて受け取ったのです。
糸島では、今度は私が“支える側”になれた
そして糸島に移り住んでから、不思議なようで当然のような変化がありました。あの頃の私を救ってくれた“優しさ”が、今度は私の内側から自然とあふれるようになったのです。
イベントを開けば、ママたちが安心して子どもを預けてくれる。子育てサロンでは赤ちゃんを抱っこして「今のうちにお茶飲んできてね」と声をかける。以前の私が欲しかった場所を、今の私が作れるようになっていた。
助けてくれた“あの光”は、ちゃんと循環してるんだなぁ。私も恩返しできてるかもって幸せな気持ちになりました。
あなたへ伝えたい言葉
子育てと働き方の両立は簡単ではありません。制度も必要。でも本当にあなたを支えてくれるのは“繋がり”です。あなたはひとりで抱えなくていい。助けてもらっていい。頼っていい。
もし今、あの頃の私のように苦しい朝を迎えているなら、いつでも会いに来てください。あなたの話をゆっくり聴ける場所が、元氣ラボにはあります。












